• Fin del mundo 全曲解説

    「Fin del mundo」とはスペイン語で「世界の終わり」という意味です。
    このアルバムの楽曲はオレが南米12カ国をまわりながらつくりました。
    2010年3月11日、オレはブラジルのサンパウロで東北大震災と福島原発事故を知らされます。
    次の日南米中の新聞がそれを「Fin del mundo(世界の終わり)」といって報道しました。
    「アキラさん、日本がたいへんです。すぐ帰ってきてください」とのメールをたくさんもらったが、

    オレは「自分にできることをやろう」と心に決め、たくさんの曲を書いた。
    4月29日に帰国したオレはそのまま佐藤さんの車で石巻にはいり、宮城、岩手、福島など、

    さまざまな被災地で40本以上のライブをつづけ、ついに2011年1月20日血を吐いて仙台の病院に運びこまれました。
    オレは被災地でかけがえのないものを学びました。
    目の前で家族が流されていく者、子供をかかえたまま死んでいった母親、放射能を全身に浴びながら臨界爆発を止めた父親、死体置き場をまわりながら友人を探す中学生、ひとつのおにぎりを分け合う家族、石巻専修大学のキャンパスに並ぶ何百ものボランティアたちのテント、子供の日に送られたこいのぼりに喜ぶ子供たち、クリスマスの運動会、
    オレがそこで見たものは「世界の終わり」ではなく、「世界のはじまり」だった。
    もし世界が日本で終わったのなら、誰もまだ見たことのないような未来がはじまるのも日本だ。
    「人を蹴落としてまでのしあがろう」、「自分さえよければいいんだ」、「よりたくさんのお金と物を集めれば幸せになれる」という価値観が崩壊し、「助け合い」、「分かち合い」、「愛し合う」新しい未来が日本の被災地からはじまった。

     このアルバムはひとつの時代が終わったレクイエムであり、
     新しい時代がはじまることを高らかに宣言したマイルストーン(金字塔)でもある。

    こんなときに楽しげな旅のレポートなどしている場合じゃないだろう?
    そう問いつづけていた。
    ウルグアイ行きのフェリーの上で白ひげの老人が話しかけてきた。
    いいぐあいにくたびれた白い麻のスーツにネクタイを締めた白人系紳士だ。
    「日本人かい、きみの家族や友達はだいじょうぶだったのか」
    「はい、友人たちから寄せられたメールでは、今のところ大丈夫だそうです」
    「バカシオネス(休暇)で旅しているのかな」
    「はい、自分の国がこんな大変なときに旅などしていていいのかと悩みます」
    老人は少し寂しげな目で水平線を見た。
    「わたしの娘はこんなことを言ったよ。アフリカでたくさんの子供たちが飢え死んでいるのに、
    わたしみたいに無駄な人間が動物を殺したパリージャ(焼肉)を食べて、のうのうと生きてる。
    わたしには生きる資格なんかないと、自殺したんだ」
    オレは言葉を失い、老人が何を言おうとしているのかはかりかねた。
    「いい旅をしなさい」(Buen Passajen)
    「え?」
    老人のやさしげなまなざしの中には、とてつもなく重要なことを問い詰めるような厳しさがあった。
    「彼らの分まで、いい旅をすることだ。きみが旅で得た経験が、のちに彼らを助けることになる。
    自分の道をいきなさい」
    老人は微笑み、そして一等室へあがっていってしまった。
    オレは「いい旅をしなさい」という言葉の重みに打ちのめされ、しばらくその場を動けなかった。
    アフリカの飢餓に同情して命を捨てた娘さんの話とどうつながっているのだろうと考えつづけた。
    「負の比較」をつづけていると永遠に何もできなくなってしまう。ひとりひとりが自分のできることをやれば、

    めぐりめぐって他者を幸福にすることもできる。
    白ひげの老人はきっとこんなことを言おうとしていたのかもしれない。

     

     

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  • 1. 魂の本

    自分のできるなんらかのアクションを起こしてほしい。
    それは一人一人が自分の生き方を見つめなおすことだ。
    本当に自分は自分の望む生き方をしてきたのか?
    自分はせいいっぱいの思いやりで人と接してきたか?
    「震災で苦しんでいる人たちに自分は何もできない」と落ち込むことは、なくなっていった死者たちの望むことではないだろう。
    オレもみんなと同じように「こんなたいへんなときに何もできない」自分を悔やんだ。
    だけどフェリーで会った老人の「あなたの道をゆきない」という言葉が、
    死者たちのメッセージのように思えてきたんだ。

     「きみはきみの物語を生きろ!」

    オレは今南米にいて自分のできることをする。それは歌うことだ。

     「負ける」というと、すごくネガティブなイメージを想像してしまうが、

    オレの人生では「負ける」ことがもっとも重要なテーマなのだ。

    負ければ負けるほど、人生は豊かになる。

    作家の藤原新也さんは「ぼくは負けるために旅をしたのかもしれない」と言った。

    旅をすると、ちがう価値観、習慣、宗教、言葉、肌の色のなかで、日本で絶対唯一と教え込まれてきた価値観が崩壊する。有色人種、「チーノ(東洋人)」と人種差別され、言葉のしゃべれない赤ん坊のように軽蔑される。

    オレもこの30年、世界100カ国を「負ける」ために旅しつづけている。

    たとえ母国で暮らしていようと、人生の90%くらいは思いどおりにいかないことばかりだ。

    ましてや今回の震災は、大自然の力に人間は圧倒的に無力だということを思い知らされる。

    そのことを知りつくしていた先住民たちは、長い歴史の中から真逆の世界観を創造した。

    「不幸」や「不運」は、自分を成長させる「チャンス」だと。

    だからホピ族やアマゾンのインディオの部族の中には「不幸」や「不運」という言葉がない。

    「不幸」や「不運」は他者と自分を「比べる」という病根から生まれたもので、分かち合う社会ではその意味を持たない。

    「負ける」ことは自分を成長させる最大の「チャンス」なのだ。

    「わたしはこういう者です」と名刺交換で自分の地位で相手を打ち負かす「強者の論理」に未来はないということをオレたちは知ってしまった。

    つねに勝ちつづけてきた優等生は、たった一回の敗北で自殺してしまうこともある。

    負けつづけたものは、同じ痛みをもつ者たちへ手をさしのべることができる。

    自分の弱さをさらけ出し、補い合い、分かち合い、助け合うところから、「競争から共存」への未来ははじまる。

    この歌は震災前のベネズエラで降りてきた「敗者復活戦」だが、タイトルをそのままズバリ「敗北の歌」に変えた。

    震災をブラジルで知り、Cメロの部分、

     

     天に神はいない 荒野へ降りていけ 悩める者たちがきみを導くだろう

     

    がウルグアイで降ってきた。

    まさにオレが今伝えたかったメッセージだ。

     

    今打ちのめされているすべての人たちが立ち上がるきっかけになれればと思う。

  • 3. Sailing on

    たとえば「窓際のとっとちゃん」を書いた黒柳徹子さんやオレも今で言えば「注意欠陥多動性障害(Attenntion Deficit Hyperactivity Disorder)」と診断されるだろうし、理解のある教育者に出会ったことで才能を損なわれずに成功したアーティストも多い。

    オレが教育者でもっとも尊敬するのが、A・S・ニイル(Alexander Sutherland Neill、1883年- 1973年)だ。

    今では世界的な規模でフリースクールのムーブメントは広がっているが、そのおおもとはニイルなのである。日本ではニイルの意志をついだ堀真一郎さんが「きのくに子どもの村学園」を運営し、

    あらゆるフリースクールに影響を与えている。

    ニイルは、イギリスの1923年 南イングランドにサマーヒル・スクールという学校をひらいた。

    サマーヒルは「世界で一番自由な学校」と呼ばれ、授業も学校の運営も子供たちが決める。

    先生は名前で呼ばれ、友人として接する。ニイルは言った。

     「子どもを学校に合わすのではなく、学校を子どもに合わせる」

    盗癖がある子供がはいってくると、

    ニイル校長みずからとなりの農場にその子とニワトリを盗みにいき、

    学校のガラス窓を割った生徒を表彰する。

    ニイルは大人の価値観や宗教などを一切子供に押しつけなかった。

     「人生についての究極的な解答が見いだせない私に、子どもを教育するなどということが許されるだろうか。」

     「命令に従うのはやさしい。自分自身の重荷を負い、自分自身の道を進むのはむずかしい。

    しかし自分自身の生き方をすること、それが理想である。」

     「私にできるのは、子どものかたわらに立ち、子どもが内から発達する自由を与えることだけだ。私には、子どもがどこに向かって進んでいくのかわからない。だからこそ、子どもの歩みを導こうとすべきでないと考える。権威を捨てよ、という私の持論の理由はこれに尽きる。」

    大人なんか信じちゃいけない。

    自らの心と体で何度も壁にぶつかり、その痛みと喜びをとおして世界を知覚していくんだ。

    大人もたとえ良かれと思っても(これがいちばんたちが悪い)自分のせこい価値観を子供に押しつけず、自分で考え、自分で行動していく子供に育てる。

    いや正確に言うと「育て」ちゃいけない。

    親の限界をそのまま受け継いでしまうから。

     

     子供の可能性を100%信じ、彼らが自分で学んでいく権利を守るのだ。

     大人自身も親や社会から洗脳され、自分が自分の人生の主役であることを忘れている。

     しかし自分の船の舵をとるのは自分しかいないということをもう一度思い出してほしい。

    1月20日宮城県七が浜ライブで大量の血を吐き、仙台の病院に入院する。

    胃潰瘍からガンを宣告され、311から一年目の翌日、

    3月12日、

    オレは切腹し、

    生まれ変わる。

     

    神が用意したこのシンクロにはどんなメッセージがこめられているのだろう?

    ガンを「死者たちに関わりすぎたからだ」という世界観を選ぶこともできるが、オレは、ガンは「死者たちからの感謝なのだ」という世界観を選ぶ。

    吐血により早期発見ができ、命の「傍観者」から「当事者」になることができた。

    まるで死者たちが残された生者を守るように、自分とつながるすべての命を応援していこうと思う。

     

    この歌は、新しい世界が産み落とされる出産に立ち会ったオレの、預言書だ。

  • 「胃潰瘍がたまたま血管のあるところにできたんで、大量の血を吐いたんです」

    仙台の医師からそう言われた。

    これを「病気になってアンラッキー」ととるか、

    「血を吐いたおかげで早期がんを発見できてラッキー」ととるか、

    「手術や入院はアンラッキー」ととるか、

    「いつも海外旅行でとる休暇と重なってラッキー」ととるか、

    「ライブができないでアンラッキー」ととるか、

    「そのあいだに小説がかけてラッキー」ととるか、

    同じ物事でもどの視点を選ぶかによって、正反対の人生を歩むことになる。

    おそらくどんな人でも人生の半分以上は思い通りにいかなかったり、不幸にぶち当たったりする。

    それらの現実が動かせないのなら、

    視点を動かすのだ。

    病気になったり、事故や災害にあったり、障害をもっていたり、人間関係が破綻したり、

    「こんな不幸な人生に意味なんかない」と君は嘆くだろう。

    それは自分で自分の人生をおとしめることだ。

    「試練は贈り物であり、それを越えられる魂の勇者として自分は選ばれたのだ」という、

    “意味”を見出すことができれば、自分の人生や運命に感謝して生きることができる。

    窮地に追い込まれたとき発揮する「意味力」こそが、世界を丸ごと肯定する「キー」だ。

    病院でガンを宣告され、家に帰って真っ先にやったことは?

    ギターをとって、新しいアルバムにはいっている「ギフト」を歌った(笑)。

     

    6. パラレル同窓会

    こないだ病院の帰りに宇都宮の行列ラーメン店「一品香」へいったら、叔母さん親子とばったり相席になった。

    宇都宮の総人口という縦軸とこの時間という横軸がぴったり会う、ものすごいシンクロである。

    もしオレが病院の帰りに新しくできたセカンドストリート(古着屋)によらなかったら時間はずれていたし、ラーメン平塚が定休日じゃなかったらそっちへいっていたかもしれないし、叔母さん親子も回転寿司にいこうと家を出たそうである。

    こうして「ありえない偶然」=シンクロニシティは起こる。

    オレたちの人生でも、「もしあのときあの人に会ってなければ」とか、「あの大学に落ちていなければ」とか、「ガンになっていなければ」とか、ちがう道を歩んでいる可能性は無限にある。

    オレも、オヤジがホテルを親戚にゆずらなければ番頭になっていたかもしれないし、20歳の頃ニューヨークにいかなければどこかの会社でバリバリの営業マンとかやっていたかもしれない。

    オレたちがたった一つの現実と思っているこの世界の裏には無数のパラレルワールドがひそんでいる。

    しかしそこにはルールがあって、自分の現実しか見えないのである。

    そこにはふたつの学びがある。

     「自分がいる現実は無数の選択から選び抜かれたものなのだから、それをせいいっぱい生きなさい」というのと、

     「自分のなかには無限の可能性が眠っているのだから、失敗を恐れずいろんなことにチャレンジしなさい」という2つだ。

    漫画家、藤子不二雄の短編「パラレル同窓会」というのにインスパイアされた歌である。

  • 人の一生は限られていて、

    1日に睡眠が8時間+労働が8時間+プライベートが8時間=24時間。

    労働時間を「自分の時間」と考えていない人が多いんじゃないかな。

    すると人生の3分の1は他人の時間を生きることになる。

    それはもったいない。

    どんな職種であれ、働くことは人と自分を喜ばせることであり、自己表現なんだ。

    人の価値は職業じゃなくて

    あなたらしく働くこと。

    きみは生き生きと働いているかい?

     

    8. Enlightment

    ガンになると、命についてさらに深く考えるようになる。

    おもしろい例に「変形菌」というのがある。

    自然界に変形菌は500種類ほどいて、森の腐葉土から栄養をとるアメーバ状の細胞群からなっている。

    分裂しながら増殖し、そのコロニーはあたりの栄養を食べながら拡大していく。

    その一帯の栄養を食べつくすと、細胞たちはふたたび凝縮していき、一匹のナメクジのような形になって栄養のある場所へと移動する。

    ナメクジ形の細胞群は立ち上がり、キノコのような形になり、頭の部分で胞子がつくられ、やがて爆発して森にばらまかれる。

    ひとつひとつの胞子が個々の変形菌細胞をつくりあげ、あたりの栄養を食べながら拡大していくというライフサイクルをくりかえす。

    ここでおもしろいのは、一個の細胞を一人の人間、コロニーを社会と考えるか。

    それともコロニーがひとりの人間で、個々の細胞をもっていると考えるのかである。

    変形菌のもつシステムは、細胞または一人の人間、社会または世界や宇宙の「投影」だ。

    人間が自分の意志でやったと思っている行動も、全体の大きなシステムの「投影」なのか。

    どこまでが「自分」で、どこまでが「他者」なのか。

    世界というシステムは複雑に分かちがたくつながっているのは事実だ。

    ここでオレたちには二つの選択肢がある。

    「わたしは、機械のような宇宙のひとつの歯車にしかすぎない」と落ちこむか、「わたしは、大いなるもののひとつであり、わたしそのものが世界をつくっているんだ」と悟るか。

    同じ現実でもあなたが選ぶ視点によって世界は地獄にも天国にもなる。

    「Enlightment」(エンライトメント)という意味は、光明や悟りをあらわす。

    「ウレシパモシリ」の姉妹編ともいうべきこの歌は、AKIRA歌上級者でもかなり難解で、人類が数百万年間考えつづけてきた「私は誰?」という哲学の命題を解き明かしている。

    しかし誰もが心の奥底で知っている単純明快な真実でもあるのだ。

  • 9. 蝶効果

    今ごろはインドやスリランカという異国を旅しているはずだったが、

    オレはさらに未知の領域である「病気」という異界を旅している。

    今まで病気や死や命をテーマに歌ってきたが、ある意味他人事だった。

    それが実際当事者になってみると、はらわたの底からズーンと理解できるのである。

    「生きているうちにできることをやれ」、

    「自分で世界を選び取れ」、

    「きみが世界を創っているんだ」、

    などと、何も知らずにえらそうなことを言ってきたが、それらの意味が魂の奥底まで突き刺さってくる。

    死を一度 覚悟してからやっと理解できるようになった、バタフライエフェクト。

    ガンを宣告された患者が今まで出会った人をたずねていく映画があったが、なぜかそんな気持ちになる。親戚とは数年に一度くらいしか会わないのに、このところ叔母さんふたりに会った。まるで自分が亡くなる前にお世話になった人にお礼を言っておこうとするみたいだ。

     「人は出会いの集合体だ」とオレは思う。

    神経ネットワーク研究者エリク・カンデルは言う。

     「ふたりの人間がおたがいにむかいあって話すという単純な社会的経験によってでさえも、一人の人の神経機構の行動は、相手の脳の可変的シナプス結合に、直接的で長く持続する影響をおよぼすことができる」

    脳というのは固定した装置ではなく、常に変化する動的システムなのだ。

     「脳が思考を形成するのではなく、思考が脳を形成する」。

     「人が出会いをつくるのではなく、出会いが人をつくる」と言い換えてもいい。

    そして「PUZZLE」という歌にもあるように、

     「運命は決まっていないが、出会いは用意されてる。避けらねぬ必然が」

    オレたちはこの世に生まれる前に大まかな人生の設計図(ゲームプラン)をつくるという。

    生まれたあとは自由意志によって運命を変えることができる。

    そこで必要なのはRPGの宝剣や武器みたいな「出会い」である。

     「あたしの人生なんてつまらない」とか、

     「ぼくが生きてる意味なんかない」と思うときもあるかもしれないが、

    それは社会的成功を基準においた洗脳だ。

    社会的ものさしを叩き割って、命と向き合えば本当の自分が見えてくる。

     

     どれほどあなたが、かけがえのない存在なのか。

     どれほどあなたが、不滅の魂の勇者なのか。

     どれほどあなたが、愛そのものなのか。

     

     死んでからじゃもうおそい。生きてるうちに気づきなさい。

     今日、たった今目覚めなさい。

     空と約束してきたことに。

    真実はいつもひとつじゃないから

    あなたが世界を選びなさい

     

  • Fin del mundo

    2012年2月リリース。11曲。2500円。